ヒトラーが仕掛けた「国民投票」② ヒトラーの総統就任に関する「国民投票」(1934年8月19日)

ヒトラーが仕掛けた「国民投票」②
ヒトラーの総統就任に関する「国民投票」(1934年8月19日)

1934年6月末、激化しつつあった陣営の内部闘争に終止符を打つべく、ヒトラーは、ゲシュタポ(国家秘密警察)とSS(親衛隊)を使って、300万人に膨れ上がったSA(突撃隊)の幕僚長で旧知の友人でもあったエルンスト・レームをはじめとする自分にとって不都合な人々に「売国的叛逆者」というレッテルを貼って一気に粛清した。ヒトラーは死者の数(殺した数)は3人の自害を含め77人だと発表したが、第2次大戦後の調査で、その総数は少なくとも401人以上だということが明らかになった。この「長いナイフの夜」と呼ばれる大量殺人も合法的な措置として行われたのだが、事件のひと月後(8月2日)、ヒトラーの傀儡で、名ばかりの大統領となっていたヒンデンブルクが他界する。その前日、ヒトラーは緊急閣議を招集し、「国家元首に関する法律」を制定した。この法律は、下記の通りヒンデンブルクの死後、大統領の職を首相と統合して権限を「指導者兼首相であるアドルフ・ヒトラー」個人に委譲するという内容になっていた。要するにヒトラーが首相と大統領を一人で兼任することになったわけで、これにより、ほぼ言いなりだったとはいえ大統領令を発令させるたびにいちいちヒンデンブルクの署名を求める手間も不要となった。まさにやりたい放題。1934年8月2日、ヒンデンブルクの死によりヒトラーは完全なる独裁体制を確立した。

§1[大統領官職の首相官職への統合]
大統領の官職は首相の官職に統合される。これにより、
大統領の従来の権限は、総統・首相であるアドルフ・
ヒトラーに移譲される。ヒトラーはその代理者を定める。
§2[この法律の発効]
この法律は、フォン・ヒンデンブルク大統領の逝去の時点
よりその効力を発する。

この日ヒトラーは早速「ドイツ国元首法遂行のための総統布告」を出すと同時に、首相兼大統領となった自分を支持するか否かの国民投票を8月19日に実施すると発表した。
国家元首法に基づき、現首相のヒトラーが大統領も兼ねるというのはどういうことなのか。何を意味するのか。それでいいのか。総統就任に対する批判はもちろん最低限なされるべき国民的議論もなく、だだただ“JA“ dem Führer!(総統にYES )という大きな活字が新聞紙面やポスター、横断幕で躍り、ラジオもまた„JA“ dem Führer!一色となった。そして、ヒンデンブルクの死からわずか17日後、この「国民投票」という名の信任投票が選挙と同時に行われた。
ヒトラーが望んだ通り、賛成票が圧倒的多数を占めはしたが、反対票が「国際連盟脱退」の賛否を問うた時(210万)に比べて430万人と倍増している。すでに独裁体制、恐怖政治が確立しており「選挙」にせよ「国民投票」にせよ投票で反対票、無効票を投じること、あるいは棄権することは命の危険さえ伴った。なのにヒトラーの総統就任に反対票を投じた人が、この時点ではまだドイツ国民の中に1割近くいた。その中にはユダヤ系とポーランド系の有権者が多く含まれていたが、彼らがそうした投票権を行使できるのもこれが最後となった。

“JA“ dem Führer!(総統にYES )

有権者総数 4555万2059/投票総数 4356万8886
有効投票数 4269万5218/無効票数87万3668
投票率 95.65%
賛 成   89.93%(3839万4848)
反 対   10.07%( 430万370)

ユダヤ人の公民権を奪う
総統就任の賛否を問う「国民投票」の1年後。ナチ党は1935年9月10日からニュルンベルクで党大会を開催した。その3日目、ヒトラーは内務省に対してユダヤ人の公民権を奪う法律をただちに起草するように指示。法案は審議などなく9月15日にニュルンベルクに緊急招集された国会において可決・制定された。
1つは「帝国公民法」でもう1つは「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」。この二つをあわせて「ニュルンベルク法」と総称される。これはユダヤ人の公民権を奪って政治的・社会的に排斥するあからさまな人種差別法であり、この法律によってユダヤ人はドイツ国民ではなく「ドイツ領内で居住する外国人」となった。あわせて、ユダヤ人は劇場や公園など公共施設の利用、立ち入りを禁止され、ユダヤ系の旧軍人も公職を解かれるなど、わずかに存在していたユダヤ人官吏全員が解職・追放された。
イスラエルが1950年に制定した帰還法では「ユダヤ人を母とする者またはユダヤ教徒」を「ユダヤ人」としているが、ナチ党のニュルンベルク法では「3人あるいは4人の祖父母をユダヤ人に持つ者」とされた。この法律では信仰ではなく血筋がすべてであり、それが定義に該当すれば、たとえ本人がキリスト教徒であったとしてもユダヤ人であるとした。そして、ユダヤ人とドイツ人との結婚、あるいは未婚による性関係を禁止し、同法に違反した場合は重労働の刑に処せられた。

次回は、ヒトラーが仕掛けた「国民投票」③ ラインラント進駐に関する国民投票(1936年3月29日)