ドイツ・ヴァイマル共和制下での2つの国民投票。そして、ヒトラーが仕掛けた5つの「国民投票」(その1)

前回、このブログのページでヒトラーと国民投票について簡潔に書いたところ、けっこうな反応がありました。それで、さらに詳しく紹介することにしました。6回にわたって連載します。なお、その連載は加筆して本年5月中旬に刷り上がる『国民投票の総て』の第3章に掲載されます。その本『国民投票の総て』を制作・普及するために、現在、クラウドファンディングによるみなさまの支援をお願いしています。ぜひ御検討ください⇒クラウドファンディングのページ

ドイツ・ヴァイマル共和制下での2つの国民投票
(前皇帝の私有財産の没収、賠償金支払いに関するヤング案撤回)
そして、アドルフ・ヒトラーが仕掛けた5つの「国民投票」(その1/全6回)

国民投票という制度を「衆愚をもたらす悪しきもの」と頭から否定している人たちの多くは、その根拠としてヒトラー独裁の時代に彼が実施した「国民投票」を引き合いに出す。国民投票こそがナチの政権を生み、ヒトラーを「総統」と称する絶対権力者に就かせた。そして近隣諸国への侵略やユダヤ人の大量虐殺を後押ししたというのだ。あなたの周りにもそう語る人が何人もいるのでは? ひょっとすると、あなた自身がそう思っているのかもしれない。半ば常識であるかのように。私もそんな1人だったが、今回、本書『国民投票の総て』を制作するにあたって、ナチ党の誕生からヒトラーの死まで、当時のドイツにおける政治や行政、軍事、外交にかかわる様々な文献にあたってみた。すると、そこから得た事実は常識化している風評とはかなり違っていた。この項では、できる限り歴史的な事実を示して、ヒトラーが仕掛けた5つの国民投票とそれ以前に動きがあった2つの国民投票について解説する。
正式な名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)で略称は NSDAP。「ナチ」はドイツ語の蔑称である「Nazi」を日本語に音訳したものだが、この呼称が一般的に使われているので、ここでは「ナチ」と表記する。

1926年6月20日
[前皇帝の私有財産の没収]のイニシアチブによる国民投票

ホーエンツォレルン家の皇帝支配にあったドイツ帝国は、第1次世界大戦での敗北によって大きく揺らぎ、1918年11月に社会主義者を中心とした革命によって崩壊。翌1919年6月には、戦勝国である連合国側とドイツ新政府との講和条約(ヴェルサイユ条約)が締結された。そしてその6週間後、ドイツはヴァイマル市で採択された新たな憲法に則り、君主制から共和制に転換。ヴァイマル憲法、ヴァイマル共和国が誕生した。
革命は成したものの左右各派の激しい主導権争いにより政治的混乱は収まらず、経済的にもヴェルサイユ条約に盛り込まれた敗戦国ドイツが果たすべき「賠償義務」が重荷となり、ドイツ国民の困窮は何年にもわたって続いた。そんな中、前皇帝の財産没収に関して国民投票にかけるべしという動きが起こる。
1918年の革命によって君主制は崩壊したが、皇帝が保有していた財産の中で「国有財産」として没収されたのは一部だった。ところが、右派寄りのヒンデンブルクが大統領となったことで強気になった前皇帝らは、没収され国有化された財産の所有権を主張し,損失を保障せよと訴えた。共産党はそうした前皇帝の主張とそれを擁護する右派勢力に対抗すべく「前皇帝の私有財産を没収する」というまったく逆の主張を行い、それをなすための法案を国会に提出した。賛成少数で否決されたが共産党にとってそれは計算の内。彼らは、間髪を入れずこの問題を国民投票にかけるための動きに出る。

ヴァイマル憲法と「国民投票」
ここで、当時のヴァイマル憲法(1919年憲法)の「国民投票」に関する規定について簡潔に紹介しておく。なお、この中で私が記した「国会」という表記はドイツ語の原文では”Reichstag” 通常、ヴァイマル憲法の専門家はこの言葉を「ライヒ議会」「ライヒ国会」と訳している。
第73条「国民投票」の項、国会が議決した法律は1カ月月以内に大統領がこれを国民投票に付すと決めれば、法律を公布する前に国民投票に付さねばならない。そして、国会議員の3分の1以上の動議によって公布が延期された法律は、全有権者の5%以上の請願があれば、国民投票に付す。
また、法律案の提出については、全有権者の10%以上の請願があれば、これを国民投票に付す。この国民の請願は、法律案として整った形でなされなければならない。政府はこの請願された法律案について、自己の見解を添えて国会に提出する。それで、その法律案が国会において修正されることなく可決された場合は、国民投票は行わない。(だが否決されたら国民投票にかけ、国民に是非を問う=筆者)
第75条「国民投票による無効」の項、国民投票によって国会の議決が無効とされるためには、全有権者の過半数が国民投票に参加していなければならないと規定。
第76条「憲法改正」の項、憲法は立法と同じ手続きで改正できるとし、議員定数の3分の2以上の議員が出席し、その出席議員の3分の2が賛成した場合にのみ、憲法改正を求める国会の議決は成立する。憲法改正を求める参議院の議決も、同じく投票数の3分の2の多数を必要とする。
国民の請願に基づく国民投票によって憲法改正をなすためには、全有権者の過半数の同意を必要とする。(というかなり厳しい成立要件の規定を盛り込んでいる=筆者)

イニシアチブ(国民発議)運動を展開
共産党はこの憲法73条の規定に則り、全有権者の10%にあたる約400万筆以上の署名を集めるべく、社会民主党に「共闘」を持ち掛けた。社民党首脳は過激とも思えるこの法案に乗り気ではなかったが、「旧君主の私有財産没収」を支持する大衆の声を無視するわけにもいかず、結局左派共闘が成立して運動を展開し、なんと1252万3939筆の請願署名を獲得した。そして、予想された通り国会がこの法案を否決した(5月6日。反対236対賛成141)ので、憲法73条の規定に則り主権者国民が賛否を決する国民投票実施となった(6月20日)。
投票用紙に刷り込まれた質問は「旧君主の財産没収をなすための法案を発効させますか?」
【投票結果】
投票率 39.21% 1559万9828
賛成票 92.66% 1445万5167
反対票  3.75%   58万5745
無効票  3.58%   55万8916

共産党、社民党、労働組合は共闘して1252万の請願署名を集め、国民投票の実施に持ち込んだ。そして、投票では国会での議決とは逆に賛成票が反対票を圧倒。だが、この法律が制定され旧君主の財産が没収されることはなかった。なぜなら、法律案の是非を問う国民投票の成立要件として50%ルールが適用されていた(憲法75条)からで、全有権者の過半数にあたる約1990万人以上が投票に参加し、かつ投票者の過半数(約995万人)が「賛成票」を投じなければ、財産没収のための法律案は制定されなかった。
賛成票の数は十分だったが、投票率が50%に達せず左派連合が主導したイニシアチブは立法化に至らなかったが、社民党、共産党のこうした請願運動がもたらした大衆へのアピール効果は大きかった。2年後の5月に実施された総選挙で社民党は153人を当選させて第一党となり共産党も54議席を得たが、国家人民党など右派は大きく後退し、ナチ党が得た議席は12にすぎなかった。
次回は、1929年12月22日実施の[賠償金支払いプラン]に関するイニシアチブによる国民投票について ヒトラーはこの運動にリーダーの一人として参加し、知名度と人気を高めていきます。
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