ドイツ・ヴァイマル共和制下での2つの国民投票。そして、ヒトラーが仕掛けた5つの「国民投票」(その2)

*先月11日、このブログのページで「ヒトラーと国民投票」について簡潔に書いたところ、けっこうな反応がありました。それで、さらに詳しく紹介することにしました。6回にわたって連載します。なお、この連載は加筆して本年5月中旬に刷り上がる『国民投票の総て』の中に掲載されます。その本『国民投票の総て』を制作・普及するために、現在クラウドファンディングによるみなさまの支援をお願いしています。ぜひ御検討ください⇒クラウドファンディングのページ

ドイツ・ヴァイマル共和制下での2つの国民投票。
そして、ヒトラーが仕掛けた5つの「国民投票」(その2/全6回)

1929年12月22日
[賠償金支払い案]に関するイニシアチブによる国民投票
社民党を中心としたミュラー内閣も前内閣同様、ヴェルサイユ条約で課された重い賠償義務(1320億金マルク=47300トン分の純金に相当。現在の貨幣価値に換算すると約200兆円)を果たすのに苦労するのだが、その件でアメリカのモルガン財閥の銀行家オーウェン・ヤングを議長とする「ドイツ賠償委員会」が1929年2月にパリで開かれた。
この委員会での4か月に及ぶ協議により、賠償残額を約358億ライヒスマルクと確定。30年とされていた分割払いの期間を59年と延ばし、最初の37年間は約20億ライヒスマルクを支払い、その後の22年は16~17億ライヒスマルクを支払うという案が採択された。「ヤング案」と名付けられたこの決定はドイツ国会でも承認され、ドイツの毎年の負担を大幅に軽減するものとして歓迎する政治家や経済人もいたが、右派の国粋的愛国主義者は、この案を「半世紀以上にわたって賠償義務を課すドイツ国民奴隷化法だ」と反発した。彼らにとっては、ヴェルサイユ条約そのものを破棄することが正しい道であり、「負担軽減」など評価に値するものではなかった。そんな彼らがとった運動の戦略は、憲法に基づく請願権を行使しての国民投票実施だった。3年前に左派が[前皇帝の私有財産の没収]を目指して使った手法を、今度は右派が活用することになった。

ヒトラーも運動に参加
「ヤング案」が成立した翌月、極右の大実業家にしてドイツ国家人民党党首のアルフレッド・ヒューゲンバーグは「ヤング案」に対抗する案として「解放案(ドイツ国民の奴隷化に反対する案)」を提唱。これはヴェルサイユ条約の「戦争責任の条項」および「賠償金支払い義務」などの放棄、諸条約に署名したドイツ政府の大臣、代表者は叛逆罪で処罰する──といった過激な内容で、ヒューゲンバーグはこの政府への対抗案を制定するための「請願達成全国委員会」を結成した。この委員会には、国家人民党のほかに幾つかの小政党も参加したが、ナチ党の党首ヒトラーも幹部の一人としてこの委員会に加わったことに注目したい。
4ヶ月にわたる請願のための署名収集運動の中盤、10月24日にニューヨーク証券引所での株式が大暴落(暗黒の木曜日)。これを引き金とした世界大恐慌が起こる。ドイツ経済も打撃を受け、350万人を超す失業者が出るなど、多くの大衆が窮乏生活を強いられることになる。だが、それはヒトラーとナチ党にとっては勢力拡大の好機となった。
右派連合は413万5300筆の請願署名を集め、この「解放案」が国会審議にかけられた。11月30日に採決され、318対82の大差で否決。したがって、憲法73条の規定に則り国民投票での決着となった。問われたのは「ヤング案」ではなく「解放案」の是非だ。
【投票結果】
投票率 14.91%  630万8639
賛成票 92.55%  583万8890
反対票  5.36%  33万8258
無効票  3.58%  13万1491

「解法案」に賛成する票が圧倒的多数を占めたが、左派が仕掛けた3年前の国民投票と同じように投票率が50%に達しなかったので、「解放案」は否決となり、国会での「ヤング案」採択が有効となった。だが右派勢力、とりわけヒトラーにとっては決して敗北ではなかった。請願運動を通してドイツ民族の誇り、ヴェルサイユ体制の理不尽を大衆に説いて回った彼は、各地でファンや信奉者を増やし、この年の暮れ、ナチ党員は17万人、突撃隊員は10万人に達した。

次回は、「勢いづくヒトラーとナチ党」そして「国際連盟脱退」の是非を問う国民投票をヒトラーが仕掛けるまで。
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