ドイツ・ヴァイマル共和制下での2つの国民投票。そして、ヒトラーが仕掛けた5つの「国民投票」(その5)

ヒトラーが仕掛けた「国民投票」➀
国際連盟脱退に関する「国民投票」(1933年11月12日実施)

10月14日、ヒトラーはラジオ放送による演説で、国際連盟そしてジュネーブ軍縮会議から脱退すると宣言した。彼は同時に、「このドイツ政府の決定・措置と国民の意思が一致していることを立証すべく、国民投票と新たな国会議員選挙によって歴史的肯定をなさしめる機会を得たい…」と述べ、ひと月後に国民投票と選挙を同時に実施するとも言明した。ただし、選挙といっても国会は有名無実となっており、国民は指導者リストという名のナチ党のみの候補者名簿を見てその信任を示すだけで、選挙本来の「人や政党の自由な選択」とはなっていなかった。
「すべてのドイツ人に訴える。かつて私が過ちを犯したことがあっただろうか? もし国民が私の行動をを支持できないというのなら、私は死を選ぶであろう」(ラジオで生中継された10月24日の演説)
ヒトラーからそう言われたドイツ国民がはどう応えたのか。選挙においては投票率が95.3%(4298万8152票)で、92.2%(3963万8789票)がナチ党ばかりの指導者リストを信任する票を投じた。
その選挙の歪さについて、南利明・静岡大教授は『指導者-国家-憲法体制における立法(1)』の中でこう記している。
「この時ドイツ民族に求められたことは、ゲーリング、ゲッペルス、フリック、ライ、シュトライヒャー、フランクなど661名の氏名が掲載された1枚の候補者リストに対する賛否の表明であった。ナチス党から提出された推薦名簿を基にフリックが党幹部と協議の上作成したリストの内、639名をナチス党員が占めていた。残る22名も一党独裁の印象の緩和を目的にリストに加えられたに過ぎず、そのすべてが党の客員や息のかかった官界、財界の主要メンバーから成り、その多くはかつての友党ドイツ国家人民党に所属していた者たちであった。……これが通常の意味での国会選挙でなかったことは明らかであろう。……1枚のリストがドイツ民族に求めたことは、『アドルフ・ヒトラーが率いるナチズム運動による指導に対する同意』の表明に他ならなかった」

そして、同じ日に行われた国民投票は下記の通りの結果となった。
有権者総数4517万8701/投票総数4349万2735
有効投票数4273万5159/無効票数75万7676
投票率 96.27%
賛 成 95.08%(4063万3852)
反 対  4.92% (210万1207)

選挙でも国民投票でも国民の大多数が「国際連盟とジュネーブ軍縮会議からの脱退」を決定した政府の措置に賛成した。正確には、本当に賛成していたかどうかはともかくとして、有権者10人のうち9人が賛成に記しを付けて投票した。「ドイツ政府の決定・措置と国民の意思が一致していることを立証すべく」実施したヒトラーの思惑通りの数字が出たわけだが、イギリスの「EU離脱」のように、この投票結果によって「国際連盟を脱退する」ことが決まったわけではない。また、脱退についての事後承諾を求めたわけでもない。それはヒトラーが決めることであり、国民の承諾など彼には必要なかった。たとえ賛成少数という結果になっていたとしても(当時の状況からしてそれはあり得ないが)、国連脱退を取り消すなどということは決してなかった。
では何のために形ばかりの国民投票や国会議員選挙をやったのか。それは外からの視線と内からの懸念への対応だった。「国際連盟そしてジュネーブ軍縮会議からの脱退はヒトラーの強迫的な独裁政治によるもの」という米英仏をはじめとする諸外国の批判に対して「国民の大多数が脱退に賛成しているという民意を酌んでの措置であり独裁ではない」という反論に使うための選挙、国民投票だった。あわせて、脱退は間違った選択ではないのかという国民の懸念に対しても、政府に批判的な人間はごく僅か、ヒトラーの決断はこんなにも多くのドイツ国民に支持されているといった演出にも使えた。

次回は、ヒトラーが仕掛けた「国民投票」②
ヒトラーの総統就任に関する「国民投票」(1934年8月19日)