ヒトラーと「国民投票」──国民投票が独裁、侵略、ユダヤ人虐殺をもたらした?
実際はどうなのかということを、このひと月、
[1]1933年10月、
[2]4、
http://allref.info/wp-content/uploads/2017/01/cde3b72a045768a89932f2a7025634ed-1.jpg
http://allref.info/wp-content/uploads/2017/01/e2bf9abd60abef3c2d01b24d79db2dba.jpg
[3]ヒトラー、ナチス政権に傾倒し信仰していた国民が多数いたのは事実だが、秘密投票ではなく、「反対」と投票した者はもちろん棄権した者も投獄、収容所送りという脅し・暴力の中で実施され、自身の意思に反した投票を余儀なくされた国民も一定数いた。ちなみに独墺併合をしたあとのその賛否を問う国民投票での投票率は99.6%、賛成は99%。この異常な数字がそのウラで起きていたことを物語っている。(投票監視と弾圧の実態については村瀬興雄著『アドルフ・ヒトラー』の第10章に詳しい)
[4]1929年の「大恐慌」前年の国会議員選挙において得票率2.6%だったナチ党が、謀略、謀殺を重ねながら5年後の選挙(33年3月5日)では43.9%を獲得して第一党に。首相となったヒトラーはヒンデンブルグに違憲の大統領令を出させて共産党、社民党を徹底弾圧した上で、インチキ国会において圧倒的多数の賛成票を得て「全権授与法(授権法)」を通す。こうしてヒトラー自身が、事実上消滅させた国会に代わり立法(ヴァイマル憲法を侵していても可能)を合法的になすことができるようになった。正真正銘の独裁者になったのだ。
[5]ドイツのヒトラーの「独裁」はそうして生みだされたものだ。国民投票によって侵略性を高めユダヤ人の虐殺に走った…など、ドイツが過った道に突き進んだのは「国民投票」という直接民主制のせいだというのは、事実を歪めている。ヒトラーが仕掛けた国民投票はすべて、彼が独裁的に決めて実行したことを、あたかもほぼ100%のドイツ国民がそれを求めていたかのように見せるための「演出」でしかなかった。否定すべきは、謀略と暴力とによって生み出される独裁体制であり、選挙、国民投票という制度ではない。
[6]にもかかわらず、ナチス時代のドイツの事例をあげて「国民投票は危険」「国民投票は衆愚をもたらす」と発言している学者、政治家はなぜ「選挙は危険」とは言わないのか?彼らの理屈からすれば、国民投票同様(ナチスを第一党にし独裁体制を構築させた)「選挙」だって危険でしょう。危険なのは「選挙」「国民投票」といった制度ではなく、憲法を壊し立憲主義を否定する政治家とそれを黙認する主権者の姿勢であり、その点についてはヒトラー時代も安倍時代も同じです。前述の学者らは、歴史的事実について深く学習せず、不正確な認識に基づき、何となくの発言を繰り返し、多くの人もまた「受け売り」で国民投票否定の根拠としてヒトラーを持ち出すという浅薄。いやはやです。
党派性に囚われるなど、さまざまな理由で憲法9条の[改正発議⇒国民投票での決着]に反対するのは自由だが、その理由に「衆愚」をあげ、その根拠として「ヒトラーと国民投票」を持ち出す動きについては、歴史的事実の歪曲であり、今後、厳しく批判していきます。
詳細は『国民投票の総て』に掲載しますので御購読ください。
※クラウドファンディング、よろしくお願いします⇒⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/15563